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鎌倉殿の13人 (44)「審判の日」

(2022日)


建保7年(1219)1月、実朝の右大臣拝賀式を迎えることとなる。


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前日、公暁は三浦義村・胤義兄弟に実朝暗殺計画を話す。


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源仲章がのえを貝めくりに誘い、探ろうとする。


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公暁の世話役が八幡宮に簔(みの)を持ち込む。
その様子を平盛綱が目撃する。駒若丸は三浦義村の息子だった。


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泰時から聞いた義時は、三浦義村の嘘にテロの危険を察知し、
鎌倉殿に式の中止か警護の増強を求めるも、実朝は一笑に付した。
公暁の動機となる頼家の死の真相を知らなかった。
この時、御所を鎌倉から六波羅に移す計画を義時は知り驚愕する。


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廊下で源仲章が頼家謀殺の件をのえが話したと鎌をかけてきた。
義時が望みを聞くと、人の上に立ちたいと口にする正直者でもあった。


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大江広元に相談すると、「源仲章には死んでもらいましょう」と言ってくれた。


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(公暁 つつじ)

公暁が修行中にも関わらず度々外出している噂を聞きつけ母が訪ねてきた。
鎌倉殿でなくとも平穏に暮らして欲しかった。


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義時が依頼した仏像を運慶が届けにきてくれていた。
悪い顔になったと以前には言われたが、
今回は気の毒な程の悪人面なので、仏像に拝めと励まされる。


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時房には、源仲章暗殺、公暁の実朝暗殺計画を見届けることを話す。
実朝の御所移転計画を理由とした。



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NHKオンデマンド 鎌倉殿の13人


義時や泰時の異常な公暁への警戒心により、過去に何があったのか
三好康信に問い詰め聞き出した。
実朝は母の頼家系への冷淡を問い、公暁に詫びに行く。
共に北条から源氏の鎌倉にしようと真心から語るも、
もはや、公暁を止めることはできなかった。







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