SSブログ

鎌倉殿の13人 (45)「八幡宮の階段」

(2022日)


建保7年(1219)1月27日、実朝の右大臣拝賀式の日となった。


kamakura4503.jpg

義時は参列せず三浦義村と合流。


kamakura4507.jpg

公暁は、まずは、義時の命を狙った。
が、源仲章に実朝の命として役目を交代させられ太刀を渡していた。


kamakura4509.jpg

歩き巫女が「天命に逆らうな」と実朝に警告したことを思い出す。
実朝は武装解除。天命なら従おうと公暁の意を受け入れる。
公暁は、実朝暗殺という目的は果たしたものの、
自らを正当化する前に、義時により謀反人とされ逃げることとなった。


kamakura4511.jpg

御台所が実朝の最後の歌を見つけた。


出ていなば、主なき宿と なりぬとも
軒端の梅よ 春を忘るな


kamakura4513.jpg

公暁は祖母政子を訪ねた。
謀反人についてくる御家人がいないとは分かってはいた。
名を残したかったのでしょう、と自ら語る。


kamakura4515.jpg

義時は三浦義村に公暁の謀反計画との関わりを問いただす。
義村は、考えたことはあったが、辛そうな義時に取って代わりたいと思わなくなった。
また、義時への殺害計画を知っていたらその場で殺していた、と言ってみせた。


kamakura4521.jpg

トウが政子の自害を制止。
政子は、「では、あなたが殺して」とお願いする。
が、自害してはいけませんと、かたくなに止めた。
汚れ仕事をしていくと信心深くなるのやもしれません。


kamakura4523.jpg

実朝と仲章の死が京に報告された。
後鳥羽上皇は激怒。親王を鎌倉に送ることを中止にした。



kamakura4525.jpg
NHKオンデマンド 鎌倉殿の13人


義時は、運慶に神仏と一体になった自分の像を作らせることにした。
運慶に一度断られるも、俗物である故、人の心を打つ、と口説いた。






コメント(0) 

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。