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徳川慶喜 第30回~第31回

(1998日)


前年の生麦事件により江戸湾に英仏艦隊が押し寄せていた。
文久3年(1863)将軍家茂は229年ぶりの上洛となる。
将軍後見職たる慶喜には幕府への政治一任の勅許だったが、
家茂には事柄により朝廷が諸藩に命令するとのことだった。
幕閣は怒り、政事総裁職の松平春嶽は辞任すると言い、帰った。

5月10日の攘夷を約束して江戸に帰った慶喜は9日に生麦事件の賠償金10万ポンドを老中小小笠原長行に支払わせ、攘夷はできなかったと将軍後見職を辞任。
一方、長州は戦端を開いた。

慶喜は、次に英国船を使って幕府から兵を一挙に京まで運ぶことにし、
朝廷から兵を京に入れてはならないとの説得を家茂に任せるとしたことにより、
人質状態の将軍を江戸へ戻すことに成功する。

一方、急進過激な公家や長州に孝明天皇はキレ、8月18日の政変となった。



第30回 奇策
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第31回 孝明天皇の立場
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NHKオンデマンド 徳川慶喜






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