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徳川慶喜 第37回~第38回

(1998日)


元治元年(1864)冬、天狗党は水戸から越前まで来ていた。
幕府から討伐令が来て加賀藩も派兵していた。降伏勧告の直接交渉にあたった永原甚七郎は、あまりの惨状を目にし、加賀藩は衣食と酒、菓子類を用意した。
頼りにした慶喜が討伐軍の責任者となったことを聞き失意だった天狗党も、ついに降伏。
が、彦根藩に引き渡されるや井伊直弼暗殺の水戸への恨みもあり悲惨な待遇となり352人が斬首され穴に胴体が放り込まれ処分された。
慶喜は涙するも、どうすることもできなかった。

4国艦隊が大阪や神戸に停泊し開港を要求。慶喜は大坂、朝廷と馬で走り回り説得する。



第37回 慶喜の頭痛
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第38回 条約勅許
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NHKオンデマンド 徳川慶喜






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