SSブログ

徳川慶喜 第40回~第41回

(1998日)


慶応2年(1866)7月、将軍家茂が他界する。
家茂は田安の亀之助を後継指名しており、大奥では天璋院をはじめ賛同していた。
慶喜の父斉昭の時から奥の費用を問題視していたからだった。
が、亀之助が4歳でもあり和宮は国難の折には無理だとする。
慶喜は老中板倉勝静から宗家の相続と将軍位継承を求められたが、拒否する。
その上で懇願された形で引き受けることとなった。
しかし、宗家を引き受けると、将軍位は別だった。

早速、慶喜は朝廷に参内し長州征討を言上し勅許を得る。
が、小笠原長行が戻ってきて小倉が危ないことを知り、長州攻めを諦めた。

将軍位を空位にしていたが、孝明天皇から勅許が下り拝命することになる。



第40回 徳川家相続
ynob401.jpg
第41回 将軍慶喜
ynob411.jpg
NHKオンデマンド 徳川慶喜






コメント(0) 

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。