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鎌倉殿の13人 (34)「理想の結婚」

(2022日)


建仁3年(1203年)10月、実朝は征夷大将軍となる。


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まだ11の少年だったが、訴訟を学ぶ。


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武蔵守に任命するので現在の惣検校職を返上するよう時政は畠山重忠に命じた。
が、時政の一存でできるものではなく、重忠は義時に確認。
これが罠なら命懸けで戦うとも伝える。


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訴訟の当事者の一方より付け届けを受け取ることで恣意的な判断をする時政を義時は諫める。
また、武蔵で畠山重忠と争うつもりなのか確認する。
時政は恍けようとする。


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元久元年(1204)10月14日、実朝の正室を迎えるべく北条政範が京に向かう。
父の坊門信清の姉が高倉天皇の后だった。


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13人衆の1人二階堂行政の孫と会うこととなった。


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後鳥羽上皇の側近源仲章が平賀朝雅に、迎え役の北条政範が仮に病で他界し、
朝雅が実朝の正室となる坊門信清の娘を鎌倉へ連れ帰れば、時政は執権別当を義時ではなく平賀朝雅を選ぶと唆した。


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平賀朝雅を執権別当にするため北条政範を殺害する計画を
後鳥羽上皇の乳母が気づき、上皇も知る。


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義時は二階堂行政の孫のえと会う。


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泰時が比奈と別れて間もないことから反対。
言い過ぎ義時がキレかけたが、初がキレることで収まる。



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NHKオンデマンド 鎌倉殿の13人


のえは、義時が持ち帰らせたキノコを仲間に分け与えた。
嫌いだったが、ありがたく受け取り惜しみなく手放すことができる才女だった。
実は気取らないざっくばらんな女性だった。






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