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鎌倉殿の13人 (36)「武士の鑑(かがみ)」

(2022日)


元久2年(1205)6月、実朝から花押を奪った時政は、畠山重忠の謀反を仕立て上げ、
武蔵で兵を整えているとし、討伐することにした。


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(三浦義村 三浦胤義 和田義盛)

彼らは驚いたが、従うしかなかった。
まずは、畠山重忠の息子重保を人質に取るため、謀反の征伐と偽り
時政の娘婿稲毛重成が呼び出すこととする。


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三浦や和田らが、重保を確保しようとするも、
誇り高く抵抗、討死となる。


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重忠が覚悟、義時が大将に志願。
和田が説得に向かうも、武蔵と息子を奪われた以上、
泥水をすすって生きるなぞ、あろうはずがなかった。


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重忠は義時をおびき寄せ一騎打ちに持ち込む。
義時も受けてたち、重忠の勝ちとなるも、殺さなかった。
友情と時政を潰すためだったのでしょう。


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畠山重忠の首を執権として検めろと父に迫る。


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御家人たちは畠山に非が無かったことを知り、
大江広元は、時政への不信と怒りを稲毛に向かうことを提案。
義時は時政を説得。八田知家が稲毛陰謀説を広める。


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義時は、稲毛の処刑を三浦義村に命じた。


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義時は大江広元と共に政子に恩賞の授与役を説得した。
鎌倉殿に報告。実衣は面白くなかったが、
実朝は責任を感じており、自らを未熟であるとし承知する。


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梶原景時の66人の連判状以上に、時政への非難が集まった。
それが息子の狙いだと知る。
時政が恩賞を行うつもりだったが、根回しは済んでいた。


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NHKオンデマンド 鎌倉殿の13人


7月8日、政子により勲功のあった諸将に恩賞が与えられた。






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