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鎌倉殿の13人 (35)「苦い盃(さかずき)」

(2022日)


建仁3年(1203)9月に征夷大将軍になった千幡は、元服し実朝となる。


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和歌を学び、父を偲ぶ。


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元久元年(1204)12月、後鳥羽上皇の従妹にあたる千世を正室に迎えた。


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時政とりくの嫡男北条政範が京から千世を迎える役だったが。
畠山重忠の嫡男重保が、平賀朝雅による毒殺だと義時に報告。


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京都到着後2日目の宴席で亡くなったという。
平賀朝雅の毒を盛ろうとする会話を聞いていたので問い詰めたが、
シラを切られたという。


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が、平賀はりくへ政範に毒を盛ったのは重保だと吹き込んだ。
武蔵の地で北条時政と揉めていることを理由にした。
りくは信じ、時政に畠山を討つよう迫った。


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義時も平賀を問い詰めたが、「無礼な」と立ち去り、京へ戻った。


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義時は三浦義村を招く。
のえの手に米がついていたことに気づきチクる。



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実朝は気さくな和田義盛宅へ遊びにいった。
占い師にみてもらうこととなる。
実朝に、雪の日に出歩くな…、と彼女は予言する。


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御所では実朝がいなくなり皆が心配する事態となっていた。
政子たちは時政の企みを知っているので、帰宅させようとする。


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NHKオンデマンド 鎌倉殿の13人


が、時政は実朝の帰宅まで残っていた。
よもや畠山討伐の件とは知らない実朝は祖父を信頼し、花押を許した。





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