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光る君へ (1)約束の月

(2024日)


貞元2年(977)年、後の紫式部は京の下級貴族藤原為時の子として過ごしていた。


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(藤原宣孝 藤原為時)

為時は、八省の1つ式部省で働きたいと大納言兼家へ申文をたてまつっていたという。
漢詩の会での知り合いではあった。
友人宣孝は、今から兼家宅へ行って推挙をお願いしてこいと念を押させる。
式部少丞の願掛けを妻は行っていた。


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貞元3年(978)年正月、除目(じもく)という人事の会議が行われた。
為時の申文が読まれたが、学識の無い者が現在任じられていると書いたことにより、
ご自身への批判と受け取られた円融天皇はご不快あそばされる。


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春、関白藤原頼忠の娘遵子(のぶこ)が入内。


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秋に詮子が入内。これにより父大納言兼家は右大臣に昇進する。


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詮子の入内の日に陰陽師安倍晴明宅が落雷。
不吉の噂となるが、吉だと逆の噂を為時は道隆に流させた。


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(道長 正室時姫 道兼)

道兼は沸点が低く道長や下の者に直ぐに暴力を働き母が心配する。
が、父兼家は汚れ役として使えると考えていた。


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NHKオンデマンド 光る君へ


ある時、まひろが道に飛び出したことで道兼が落馬。
一度許したものの下の者の些細な一言でキレて、母ちやはを刺す。
が、父為時は病死ということで忘れろと家で言い聞かせた。
この時点ではそう考えるしかなかった。







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