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西郷どん (15)「殿の死」

(2018日)安政5年(1858)も激動の年だった。前年の老中阿部正弘の死去は薩摩にとって痛かった。

この時期の問題は、将軍継嗣問題と条約勅許問題だった。
病弱な第13代将軍家定と正妻の篤姫は一橋慶喜を嫌っていたようだ。
ドラマでは篤姫が家定に次期将軍に慶喜と説得し成功するも
井伊直弼に覆されたことになっている。

条約勅許問題には触れていない。老中首座の堀田正睦と老中の松平忠固が南紀派だったが、堀田が勅許を得るのに失敗し、井伊が大老となるよう忠固は工作。
家定の指名だったようだ。4月23日に就任している。この家定への影響は忠固単独ではないだろう。

直弼は勅許を得たかったが、「イギリス艦隊が来る前の条約調印」という忠固に
押され、6月19日官僚の岩瀬らが進んで結ぶことになったようだ。
ドラマでは権謀に長けた悪人に描いているが、責任者とされ、
尊王攘夷過激派に命を狙われる損な役回りをさせられたのやもしれません。

井伊の大老就任、6月25日次期将軍の慶福と決定されたこと、
集成館の廃止で失意となり、吉之助のお庭方も解任となる。
が、西郷の進言で京都に兵を出して、そこから改革を進める準備をはじめる。
しかし、7月6日の家定の死去に続き、16日斉彬は倒れることになった。享年50。

西郷の安政元年(1854)に江戸に出てきて以降の4年間の仕事の目的と支えが潰えた。

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NHKオンデマンド 西郷どん (15)「殿の死」
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