SSブログ

翔ぶが如く (2ー15) 士族暴発

(1990日)明治8年(1875)6月、大久保は「新聞紙条例」「讒謗律」で言論弾圧にでた。


tobu1.jpg

翌9年(1876)2月、鹿児島の西郷家は、愛加那との長女菊子(14)を引き取った。
同年に大山巌の弟の誠之助と婚約となる。


tobu2.jpg

大久保は家を増築し、要人を招いた。
前回、西郷下野後、鹿児島の妻子は東京で暮らすこととなった。


tobu3.jpg

大久保、大先輩、鹿児島県令の大山綱良を呼びよせる。


tobu4.jpg

鹿児島の不穏な動静を探るため、密偵を入れることを提案する川路。
バレたら一大事になりかねないと、消極的な従道。




が、明治9年(1876)10月24日、熊本で「神風連の乱」が勃発。
27日、福岡で「秋月の乱」、
28日、山口にて前原一誠ら「荻の乱」を起こす。連発だった。


tobu6.jpg

翌日の29日、永岡久茂(旧会津藩士)は、海老原穆(旧薩摩藩士)の集思社を去った。

その日、千葉県庁を襲撃しようとしたが、失敗。
長州の「荻の乱」に呼応した、会津の「思案橋事件」だった。


tobu8.jpg

大警視の川路は、鹿児島私学校への調査班を編成した。
中原尚雄(渡辺いっけい)らは城下士とは違う郷士だった。川路は再確認する。


tobu9.jpg

江藤新平の書生だった矢崎八郎太も東京を去り、西郷を訪問する。


tobua.jpg

私学校で、青年の暴発を抑えようとする幹部3人。
永山弥一郎(遠藤憲一)、桐野利秋、篠原国幹か


tobub.jpg
NHKオンデマンド 翔ぶが如く 第2部第15回 士族暴発

陸軍が鹿児島の火薬庫から武器弾薬を持ち去ろうとする。
が、私学校の1000人規模の青年が奪取となった。
事態に憤る県令の大山綱良と私学校幹部の村田

暴発を防ぐため、青年を縄で縛ろうとも、
「腐り縄」ではどうしようもないと村田新八は言った。
幕末・維新を懸け抜けた彼らが、もはや「腐り縄」だと自嘲する。

東京の大久保は従道から鹿児島の動きを聞いた。
まだ西郷がかかわっていないことに安心するも、
鎮圧しなければならなくなった。



コメント(0) 

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。