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徳川慶喜 第7回 公家の花嫁

(1998日)

安政2年(1855)10月2日、江戸で大地震が発生。
水戸藩江戸藩邸上屋敷では、重臣の藤田東湖・戸田忠敞が圧死する。


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前藩主徳川斉昭は、「早く助け出してやれ」と命じた。


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10月9日に、阿部正弘は老中首座を堀田正篤に譲った。
堀田は、かつて老中だったことがあり病気として辞任した後、
江戸城溜間詰という高ランクに位置しており発言力を残していた。

そこで体力的にも疲れていた阿部が実権は残し堀田を頭に置き、
震災からの江戸復興など多忙となるので、一歩引いたのでしょう。
ここで、条約勅許問題をも想定していたのやもしれません。


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(久世広周、牧野忠雅、松平忠優(ただます))

忠優は積極的開国派で斉昭の罷免の要求で8月に松平乗全と共に
阿部正弘から外され溜間詰より下位の帝鑑間席に移されていた。
よって、内藤信親と合わせた5人が正しいのでしょう。


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斉昭は海防参与時に、海防係とした藤田東湖と戸田忠敞の死を悲しんだ。
海防秘書をさせていた忠敞の弟の安島帯刀に愚痴る。
また、阿部正弘が老中首座を堀田に譲ったことも嘆いた。




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徳川慶喜 第7回 公家の花嫁


地震でずれたものの12月3日に慶喜は結婚することとなった。
一条家の美香子を迎えることとなった。
一条忠香の娘・照姫と婚約していたが、病気となり、
代役で今出川からの養女を迎えることとなった。

後の将軍と将軍正室となる2人だったが、一度も江戸城に入らなかった。





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