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翔ぶが如く 第1部第15回 南国の女

(1990日)

文久元年(1861)1月2日、大島で菊次郎が誕生した。


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西郷は母に「守ってください」と祈った。


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その年、5月18日、谷村愛之助と小松帯刀が大久保邸を訪ねた。
小松が久光の側役となったことを知らせに来た。

老中首座の阿部正弘(大橋吾郎)が大久保を訪れたのに驚いたが、それは『徳川慶喜』だった。

後ろで大久保満寿が抱いている子が後の外務大臣等を歴任した牧野伸顕。
が、実際は10月の誕生だったが、見せ場を作るためもあり春にズラしたのでしょう。


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久光は10月に人事を一新。家老職の入れ替えとなる。
小松帯刀は御改革御内用掛となった。
有馬新七は藩校の造士館訓導師に昇進。


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堀仲左衛門(伊地知貞馨)と大久保正助は、小納戸役となり
久光の身の回りの世話係となった。


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江戸の薩摩藩邸上屋敷で火災となり、浅草の「を組」は
遠距離だったものの、西郷との縁から駆けつけることにした。


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が、京への上洛を考えていた久光の意をくみ、
藩主の参勤交代を延期する理由を作るため上屋敷を放火するという大久保の案だった。
江戸に行った堀仲左衛門が実行犯となったが、後にバレ、堀は「内勤」となる。

久光は大久保を褒めた。
ここで、大久保は上洛を進言し、受け入れ態勢に必要と西郷を戻すことに成功した。


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弟の信吾は、兄の召喚が決まったことを造士館で知り、大久保邸へ駆けつけた。

「含むところありましたが、心から謝って、心からお礼申し上げます。」

一蔵は留守だったが、満寿に言った。


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翔ぶが如く 第1部第15回 南国の女


11月20日、大島では正月に誕生した菊次郎と家族のために作った家が完成し、
新築祝が盛大になされた。

が、喜びもつかの間、翌21日、久光からの召喚状が届いた。


当時、薩摩の役人が3.4年の任期で赴任の場合、アンゴ(姉御)という現地妻を持つことが許された。
アンゴを出した実家は夫役の免除、村にも手心が加えられるので、
競ってアンゴを供え物として出したようだ。

男が戻った場合、妻子はついていくことができず、島に留まらなければならなかった。

島の女は初潮で右手に入墨をし、結婚で左手にもする。
入墨をすることは魔除けという古き原始的な呪術と見えるが、
島外の男たちが来ても避けられるようにするための「魔除け」だった。

愛加那は、裕福な龍家だったので、ドラマの映像に悲惨さはない。
多くの島民の現実は「黒糖地獄」だった。









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