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いだてん~東京オリムピック噺~ (28)「走れ大地を」

(2019日)

1932年ロス五輪の3年前、昭和4年(1929)から始まる。
東京市長の永田秀次郎は1940年の五輪を東京にしたかった。
皇紀2600年を祝いたかった。


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嘉納治五郎は、大日本体育協会の理事に田畑を迎えたかった。
拒絶する田畑を強引に永田に会わせ洗脳しようとした。


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1931年9月、満州事変となる。
関東軍による計画であろうが、新聞は国民を盛り上げた。
12月、田畑は高橋是清宅で犬養毅を見、翌朝スクープとなった。
犬養内閣となり、言論に無力感を抱いていた河野一郎が朝日新聞社を辞めた。

「俺は政治をやる。田畑にはスポーツを任せた」

と農林大臣の秘書官になったようだ。


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オリンピック応援歌を募集。48000通の中から『走れ大地を』となる。
そのお披露目の式典に犬養も出席するはずだった。 


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いだてん~東京オリムピック噺~ (28)「走れ大地を」

三上卓に銃口を向けられるも不発だった。
犬養は「話せばわかる」と言い、応接室に移ったが、
問答無用と、銃弾を浴びせられた。

昭和7年(1932)5月15日、23時26分、76歳だった。




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