徳川慶喜 第21回 兄と弟
(1998日)
安政7年(1860)3月3日、桜田門外にて井伊直弼は死んだ。
そして、同年、8月15日、水戸に永蟄居となった徳川斉昭が他界。
(薩摩藩主・島津忠義、国父・島津久光)
井伊の死で、これまでの幕府ではなく、
斉昭の死で、これまでの水戸藩でなくなったことに、喜びを噛み殺す。
卒兵上京で帝をお守りする必要がある、と語る。
(永原、水戸藩主・徳川慶篤、吉子)
cは、分裂する家臣団に悩んでいた。
御三家・御三卿が政治に関わるものではなかったのが、
父の斉昭が軍備に金を使い、陰謀を働き、幕府から嫌われていた。
母に父を諫めなかったかと問うた。
徳川慶喜 第21回 兄と弟
慶喜は安政の大獄で謹慎の身だったが、まだ解除された訳ではなかった。
が、身なりを変え水戸に入り墓参を済ます。号泣した。
その夜、慶篤と藩士の家で忍んで会い、酒を交わした。
慶喜がフザケタことを言い、慶篤が殴り掛かった。
そして、喧嘩となり、「私の前で父の悪口を言うな」と同意させた。
父思いだったが、母と会わずに帰った。
安政7年(1860)3月3日、桜田門外にて井伊直弼は死んだ。
そして、同年、8月15日、水戸に永蟄居となった徳川斉昭が他界。
(薩摩藩主・島津忠義、国父・島津久光)
井伊の死で、これまでの幕府ではなく、
斉昭の死で、これまでの水戸藩でなくなったことに、喜びを噛み殺す。
卒兵上京で帝をお守りする必要がある、と語る。
(永原、水戸藩主・徳川慶篤、吉子)
cは、分裂する家臣団に悩んでいた。
御三家・御三卿が政治に関わるものではなかったのが、
父の斉昭が軍備に金を使い、陰謀を働き、幕府から嫌われていた。
母に父を諫めなかったかと問うた。
徳川慶喜 第21回 兄と弟
慶喜は安政の大獄で謹慎の身だったが、まだ解除された訳ではなかった。
が、身なりを変え水戸に入り墓参を済ます。号泣した。
その夜、慶篤と藩士の家で忍んで会い、酒を交わした。
慶喜がフザケタことを言い、慶篤が殴り掛かった。
そして、喧嘩となり、「私の前で父の悪口を言うな」と同意させた。
父思いだったが、母と会わずに帰った。
2019-11-01 23:28
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