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徳川慶喜 第23回 和宮下向

(1998日)

万延元年(1860)12月、アメリカ公使館員の通訳ヒュースケンが殺された。
犯人は脱藩した元薩摩藩士の伊牟田尚平だったが、
幕府は水戸藩士に疑いの目を向けていた。


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(久世広周 内藤信親 安藤信正 本多忠民)

井伊直弼の死により、久世安藤政権となっていた。
和宮降嫁の条件として攘夷を7~10年で実現と約束していたが、
新たにプロイセンと条約を結んだので、降嫁の延期となる。
京都所司代の酒井忠義のネジを巻くこととなる。


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外国奉行の部屋では、ヒュースケンの労を思い、
水戸藩を潰せとなっていた。


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(島田左近 酒井忠義)

関白の九条尚忠に、孝明天皇に条約の件は伝えるなと言っていたのに
伝えたので話がややこしくなったと責めた。


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(孝明天皇 鷹司政通)

徳川斉昭が他界し、攘夷を頼れる者が幕府にいなくなったと嘆く。
謹慎は解けたものの隠居の一橋慶喜をもう一度押そうということとなる。


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中央の岩倉具視は老中の久世広周に、
攘夷の実現まで和宮は預けただけだと念を押す。


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(勧行院 和宮   )

上座には天璋院が座り、下座に座布団無しで座らされた。
ドラマにはなかったが、確か会う前に和宮が「天璋院へ」という手紙を出していたと記憶するが、
その礼だったのでしょう。


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徳川慶喜 第23回 和宮下向

天璋院も毅然としなければならなかった。





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