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徳川慶喜 第24回 久光上洛

(1998日)

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(孝明天皇 岩倉具視)

薩摩藩の卒兵上京の件で、岩倉が御所で孝明天皇に報告する。
幕府は和宮降嫁の条件である7~10年での攘夷の約束がありながら、
そのことを諸大名に知らせず、又、プロシアと条約を結ぶなど、
何を考えているか分からず、場合によれば御所に向かってくると説明し、
薩摩の上洛にお墨付きを与えることを求めた。


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( 議奏・中山忠能 大納言・近衛忠房  島津久光  議奏・三条実愛 岩倉具視)

文久2年(1862)4月16日、到着した久光は近衛家に挨拶に訪れた。
薩摩とは親戚でもあった。


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(島津久光)

久光は、将軍後見職に一橋慶喜、大老に越前の松平春嶽をと語った。



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(小松帯刀 大久保一蔵)

孝明天皇のお考えは公武一和であり、まずは、攘夷過激派の処分を久光は求められた。
久光は大久保に、説得し納得せぬなら殺せ、と命じた。


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徳川慶喜 第24回 久光上洛

(内藤信親 水野忠精 久世広周 板倉勝静)

老中会議で、内藤は、薩摩藩主の父ではあっても無位無官の久光が偉そうなので、
殺すべきとしたが、久世は、安藤が坂下門外の変で負傷しゴタゴタでもあるので、
問題をヘタに大きくこじらせたくなかったので、先手を打って改革したふりしようということになった。

まずは、安政の大獄での処分を戻せるものは戻すことにした。

こうして、一橋慶喜は、4年ぶりに登城し第14代将軍の家茂に謁見することとなった。





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