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おしん 182~185回 自立編

(1983日)

昭和4年(1929)秋、次男の仁が産まれた日、ふじは倒れた。
白血病だった。日に日に弱っていった。


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医師は、何もしてあげられなかった と頭を下げた。


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ふじが、山形で死にたいと口にした。
ふじにとっては17で嫁ぎ、5人の娘と2人の息子を産んだ家だった。
優しかった姑のなかと夫の作造、娘のはるが死んだ家で死にたかった。

仁は網元の神山ひさが預かってくれた。
駅まではリアカーで、そこからはおしんがおぶった。

到着した翌日、「雪が見たい」と言葉を残し、
おしんとりきと3人で雪を眺めながら、眠りについた。

弟や姉妹を呼ぶことは兄の庄治が止め、おしんは伊勢に帰った。



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年が明け、昭和5年(1930)の春となり、雄がオール5の通知表を持ち帰った。
おしんは、雄に帝大にいかせてやりたいと語った。

その日、りきから加代の夫が自殺したと手紙がきた。
加代に出した手紙も戻ってきた。


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しばらくして、ひさから急ぎ来てくれとの言付けを聞き、
行くと、浩太が来ていた。

加賀屋が倒産し、加代たちは行方不明、
夫の自殺は相場に手を出したことが原因と分かった。

浩太としては、加代から連絡があったか確認したかった。

酒田に行って確認することをひさに伝えると竜三と話していたところだったが、
浩太の話でその必要がなくなる。



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NHKオンデマンド おしん 182~185回 自立編

1年経ち、昭和6年(1931)春となり、浩太が「田倉魚店」近くで立っていた。
気づいたおしんは、竜三に知らせず浩太を追いかけた。

加代の居場所が分かったとのことだった。


網元のひさは浩太の紹介であり、後ろめたいことは無いので、
全て話してもよかったのでしょうが、面白くないので話さなかったのでしょう。





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