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徳川慶喜 第27回 幕政改革

(1998日)

文久2年(1862)8月21日に起こった生麦事件だったが、
慶喜が知ったのは翌日で、幕府から公式に知らせがあったのがその翌日だった。


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(熊本藩士 横井小楠)

慶喜は、政事総裁職の越前藩主松平春嶽の知恵袋を呼んだ。
横井は、諸外国の実力を語り、幕政を改革し海軍を持つべし、
又、諸大名の意見を聞くことと進言した。

横井の息子の時雄は明治期、同志社で学ぶ。
『八重の桜』で熊本バンドが新島襄を困らせ泣かせていた者がいたが、
その1人なのやもしれません。山本覚馬の次女を妻にした。



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(松平春嶽)

春嶽は島津久光に激怒し、幕軍で薩摩勢を潰してしまえという強硬論だったが、
慶喜は慎重論だった。
横井は、慶喜に不満を持つ春嶽をナダメ、政事総裁職を続け慶喜を支えるよう説得した。


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(板倉勝静)

参勤交代 3年に1回へ おおむね100日
妻子は国元へ
朝廷人事に幕府は口を出さない。

板倉は、幕政改革案を述べた。
横井が、諸藩の負担を減らし、その分を軍備に回せばいいとの案だったが、

幕府権威が下がる一方だった。


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(徳川家茂、和宮)

天璋院が来ることになり、露骨に嫌な顔をした。


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徳川慶喜 第27回 幕政改革


天璋院は、昼間から奥で遊んでいる家茂に表に行き仕事をするよう促しに来た。
将軍と御台所に対して、偉そうに説教する天璋院だった。




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