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おしん 207~209回 太平洋戦争編

(1983日)

昭和15年(1940)春、初子の高等小学校卒業の日だった。


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9歳の時に遊郭への奉公へ行くところを50円で健さんから引き取った。
そして、尋常小学校4年生から6年、高等小学校を2年間通わせた。
14で卒業となり、初子は翌日に山形の実家へ帰ることに決めた。
竜三の気持ちを考えてのことだった。


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が、その日、竜三は新工場の話を持ち帰ってきた。
軍に衣類を納めることになった。縫製の仕事は2人でかつてしていて
関東大震災で全てを失ったことがあったが、
女工を監督するにはおしんの力が必要だとした。
そして、家事や4歳の禎(てい)の世話に初子が必要だともした。

卒業式から帰ってきた初子は、大喜びする。


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翌、昭和16年(1941)春となり、雄は高等学校3年、仁と希望は中学に入学することになった。
田倉家は不相応に思える家に引っ越しすることになる。

配給制となっており、贅沢できないはずだったが、
竜三は余った油で交換して砂糖など手に入れ持ち帰った。


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山形から兄の庄治が来た。息子が中学受験で合格するも少年航空兵となり福岡へ会いに行った帰りだった。
が、整備兵となり学力があっても小作の子で不遇にさせると嘆いた。

竜三は初対面だったが歓迎し、物資で代えれることではないが、
多くを持ち帰ってもらい、悲しい背中におしんの恨みは消える。


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12月8日、ラジオで対米開戦を知る。

冬休みとなり、庭を畑にする作業中、雄が帰ってきた。
京都は寒く、戦時下で燃料は貴重で、伊勢で勉強することにした。

雄は、愛国青年となり、自ら戦地で命を失う覚悟を母に語った。


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おしんは、幼い頃に俊作から貰った雑誌を雄に渡した。


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NHKオンデマンド おしん 207~209回 太平洋戦争編


母が34年間保存してきた意味を、知ろうとしていた。






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(2019/12/22 0:41)
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