SSブログ

おしん 213~215回 太平洋戦争編

(1983日)

昭和19年(1944)7月7日にサイパン島が陥落したと新聞で知った。
本土空襲の拠点となることを意味した。


oshin2132.jpg

隣組の娘さんの体調が悪く、卵、とろろ芋、鶏肉をお見舞いとして持って行ったが、
軍の仕事で横流しした物を頂きたくないとキッパリと断られた。


oshin2133.jpg

陸軍中佐となった竜三の次兄の亀次郎がやってきた。
おしんが、雄の現在が知りたく手紙を書いたが、手紙やハガキを避け、
口頭で知らせるためだった。

南方へ向かっているとのことだった。
本土決戦の覚悟を示唆される。


oshin2141.jpg

9歳の禎(てい)を片道3時間ほどの知り合いの農家に預けた。
空襲の心配のない場所だった。充分な食糧・石鹸なども忘れなかった。


oshin2142.jpg

仁が少年航空兵に志願すると言い出した。
神風特攻隊の散華に、自分も続こうとした。


oshin2143.jpg

おしんは、猛反対した。口論になりビンタもくらわせた。
が、空振りだった。
竜三は、自分が町の少年に勧めているのに息子に反対した。

両親はすぐに忘れてくれるものと思っていたが、
仁は家出同然に勝手に出ていき志願した。
立派ではあったが、家から生活費をくすねて出て行った。



oshin2144.jpg

しばらくすると禎が一人で戻ってきた。
ロクに食べさせてもらえず、風呂にも入ってなく、シラミだらけだった。
充分に置いてきたのにこの扱いは、さすがにドラマであり、酷すぎでしょう。
それでも、竜三は空襲が心配で翌日に禎を行かせた。


oshin2145.jpg
NHKオンデマンド おしん 213~215回 太平洋戦争編


昭和20年7月となる。
東京では3月に大空襲があり100万以上の罹災者だった。
米軍は伊勢にも攻撃してきた。

家が火の粉により燃え始めた。
竜三に逃げろと言われるが、おしんは消火にかかる。
雄、仁、禎が戻ってきた時に迎えるためだった。





人気ブログランキング
コメント(0) 

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。