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徳川慶喜 第29回 将軍名代

(1998日)

 文久2年(1862)末、慶喜が将軍家茂の露払いに上洛する頃、
水戸藩に幕府からお許しがあった。

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孝明天皇からの水戸藩への勅諚を返納しろ、との幕府の方針だったが、
もはや好きにしてよい、とのことだった。
条約を井伊直弼が断行したことから始まり、多くの血が流れたが、
和宮降嫁で公武一和となり、もはや過去のものとなったからだった。
虚しくなった水戸藩主の慶篤は嗚咽する。


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文久3年(1863)1月5日、慶喜は東本願寺を占拠し、10日、孝明天皇に拝謁した。
慶喜は母方で霊元天皇からの血でもあり、信頼される。


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昔関白だった鷹司政通を訪ねる。奥方が慶喜の母方の姉にあたり、
父 斉昭時代に政局にからむ手紙をやり取りしていた。


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息子の鷹司輔煕が関白になったばかりで、
前関白の近衛忠煕は薩摩系だったが、輔煕は長州と仲良かったようだ。
輔煕は、破約攘夷を慶喜に求める。


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ある晩、武田耕雲斎が慶喜を起こした。急な来客とのことだった。
耕雲斎は、後に天狗党首領となり悲惨な最期となる。


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(松平容保、松平春嶽、徳川慶喜、山内容堂)

急遽、お三方に来てもらい、話を聞く。


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三条実美らだった。攘夷の期限を迫る。
山内容堂が三条と遠縁で親しかったこともあり別室で話を聞くと、
長州の連中から脅されているとのことだった。


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NHKオンデマンド 徳川慶喜 第29回 将軍名代

(久坂玄瑞、桂小五郎)

慶喜たちが困っていることを想像して嫌らしく笑う2人だった。




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