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太平記 第13回 攻防赤坂城

(1991日)

元弘元年(1331)9月、幕府軍は後醍醐天皇が籠る笠置山を包囲した。
その間に、20日、持明院統の東宮が践祚し、光厳天皇となられる。
そして、28日に笠置山から脱出し、捕まった後醍醐天皇は六波羅が預かった。
幕軍諸将は京で残党対策会議を重ねた。


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その間、北畠顕家が高氏を訪ねてきた。
後醍醐側近の公家北畠親房の長男だった。父に会ってほしいとのことだった。


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(北畠親房 佐々木道誉)

敵方だったが仕方なく訪ねた。
道誉が茶と花を教えていたので京に来たついでに寄っていた。
親房が偉そうに道誉を帰らせ、高氏に先帝を逃がして欲しいと頼んだ。
高氏は危害を加えないことを約束し、親房は頭を下げた。

帰り際、道誉に捕まり、「北条に弓引くのはまだ早い」と、
北条の内管領長崎高資に降った道誉が高氏に本心を口にした。


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楠木正成が粘ったので、京から赤坂城へ4方向から攻めることにした。
高氏は伊賀方面から攻めることになる。


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その頃、伊賀では、藤夜叉との子が成長していた。
後、直冬となる。



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具足師柳斎と名乗った高氏配下の一色右馬介は、母子を見守っていたが、
藤夜叉花夜叉にはお見通しで、後に役立つから楠木正成を助けて欲しいと、
5.6人で囲んで力づくでお願いされた。正成の妹と言う。



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10月21日、赤坂城は炎上、楠木軍は敗れた。


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TSUTAYA 太平記 完全版 


楠木正成は、屋敷に火をかけ、死んだことにし、床下を這って脱出した。

石が伊賀まで案内する役目となった。






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