SSブログ

青天を衝(つ)け (33)「論語と算盤(そろばん)」

(2021日)


明治7年(1874)、倒幕戊辰で官軍の財布となった功により、
三井組、小野組、島田組は官金を扱うことを許された。
が、急に預り金全額に対する抵当を出せと大蔵省は命じた。


seiten3301.jpg

渋沢栄一は大蔵卿大隈重信に抗議するも、自分だけで決めた訳ではないと逃げようとする。
が、官金を扱う大企業を潰す判断を大隈単独でできる訳もなく、背後に合意があったと考えられる。

明治6年に京都から小野組が転籍しようとしたが知事の槇村が反対した事件があった。
大河『八重の桜』で髙嶋政宏が演じた傲慢な槇村は、財布が離れることを嫌った。
井上馨と共に木戸孝允の子分であり、また井上は三井を重視するので、
この事件の因縁もあり、小野組の経営体質に問題があったにせよ小野組を潰すという目的が先にあったのでしょう。島田組は流れ弾に当たったのでしょう。


seiten3303.jpg

小野善右衛門は泣きつくが、この頃の古河市兵衛は信用に値する人物のようで、
無担保で借りたが第一国立銀行に迷惑かからないよう全て出そうとした。
その経緯もあり栄一は古河を信用したようだ。


seiten3307.jpg

三野村利左衛門が小野組破綻を機に第一国立銀行を所有しようと考えたようだが、
栄一は認めなかった。大蔵省に検査させたようだ。
大隈はその報告により1.9万の損失に抑えられたことは評価すべきだとした。
そして、三井の特権をはく奪し、渋沢に頭取となることを命じた。


seiten3309.jpg

岩崎弥太郎は小野組を潰し三井にお灸を据えた上で存続させた大隈の手腕を褒めた。


seiten3313.jpg

栄一は静岡の慶喜に挨拶に行った。


seiten3315.jpg

平岡円四郎の妻がきて、慶喜が逃げたこと、
幕臣だったの者や下々の現状を語ったそうだ。


seiten3321.jpg

重要輸出品である蚕卵紙が値崩れを目的とした「買い渋り」にあっていた。
大隈ではなく内務卿の大久保から民間人である栄一に頼むこととなった。


seiten3323.jpg

(栗本鋤雲 福地源一郎)

蚕卵紙に使う紙を売り上げた代金8万5千円を含め、10万を政府に用意させる。
が、あくまで民として50万枚を1枚20銭で購入し燃やした。「売り渋り」だった。
それを新聞記事とする。

栗本は郵便報知新聞、福地は東京日日新聞だった。
旧幕臣は新政府に仕えることを良しとせず新聞記者となり、
厳しく批判した者が多かったようだ。


seiten3325.jpg

明治9年正月、三野村利左衛門が遊びに来た。
歌子と琴子、篤二、文子で照子は生まれたばかりだった。



seiten3329.jpg
NHKオンデマンド 青天を衝(つ)け


益田孝も元大蔵官僚で井上馨、渋沢栄一らと時期を同じく辞職したようだが、
三野村利左衛門が後継者に選んだのは栄一もそうだったが旧幕府の人間だった。
小栗忠順への義理なのやもしれません。






コメント(0)