SSブログ

鎌倉殿の13人 (15)「足固めの儀式」

(2022日)


寿永2年(1183)11月、義経の軍が京に迫ろうとしていた。


kamakura1505.jpg

木曾義仲が、御所を襲い法皇を連れ出した。


kamakura1507.jpg

鎌倉ではクーデター計画が話し合われていた。
頼朝を殺害案に対しては、広常は主を殺せば人がついてこないと流すも、
頼朝嫡男万寿を人質にして頼朝を追放する作戦となる。
誘拐の手段を文覚が「足固めの儀式」をでっち上げて実行することになる。

話を聞いていた梶原景時が脱出するのを和田義盛らが阻止。
広常は殺すなと制止し閉じ込めておくことにした。


kamakura1511.jpg

(三浦義澄 千葉常胤 岡崎義実 木曾義高)

「足固めの儀式」当日、義仲の嫡男義高に対して、3人が頭になってほしいと懇願。
11の少年に選択肢が与えられたが、いずれにせよ死に収束するのみであり、
死が悲しまれるかどうかの問題だった。


kamakura1519.jpg

儀式と鹿狩りの日が重なったことを不自然と比企が三浦邸へ調査に行くが、
刀で脅され謀反に加わることになる。戻って何も無かったと報告。

土肥実平は鹿狩りに参加しなかったことから、
義時は謀反参加は忍びなかったのだと察し計画の有無を確認。

緊急事態と判断し、八幡宮に兵を出すことにしたが、、
義時が異を唱え、上総広常が通じているので大丈夫だとした。
知っていたのは大江広元と義時だけのはずだった。


kamakura1521.jpg

足立遠元が立ちはだかり、義高も守ろうとする。
和田義盛が加わるも義時が説得、畠山重忠の芝居で和田が収まる。


kamakura1525.jpg

反乱参加者全員の赦免を義時は求めるが、1人の命を大江広元が求める。
頼朝が広常の首を求めるも義時が納得できるはずはなかった。
殺していい人間を選ぶよう求められても、何も言えなかった。


kamakura1527.jpg

寿永2年(1184)12月22日、頼朝は御家人一同を集めた。
梶原景時が広常と双六に誘い、油断させて斬りつけた。
懐刀は善児が奪っていた。


kamakura1529.jpg

義時は事態を見届けるしかできなかった。


kamakura1533.jpg

義時も騙され、抵抗していたと分かったことが、
上総広常の唯一の救いだった。



kamakura1535.jpg
NHKオンデマンド 鎌倉殿の13人


頼朝は、義仲や平家を滅ぼした上での恩賞を約束した。





コメント(0)