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同志社大学 講義「良心学」第5回「国際政治と良心」(村田晃嗣) [講義等]

(2015日)毒ガスにしろ、核にしろ、まだ使われていなければ、保有側は一度は使ってみたくなる。
国家が予算をつけて開発した兵器は、良心ある為政者であっても、他の論理を抑止できないのでしょう。
誰かの悲惨な犠牲の写真や映像が人類の記憶に焼き付いてはじめて、「2度と使ってはならない」となる。
氏の専門分野を他学部生に最初に講義する内容なので平易なはず、でしょうが、
「罪の無いかもしれない誰を殺すか」の例など個人の良心レベルでどうにもできないことを考えさせる、刺激ある講義でした。




国際政治と国内政治の違い


無政府状態 anarchy
が、無秩序ではない

1920代イギリス ww1アメリカ で学が発展

「何故、戦争が起こるのか?」最も大切な問い


人間

・ヒトラーやチャーチルなど特定個人に焦点を当てる
・人間の不完全性から


国内政治

 
国際システム

  一極構造    10年でGDP 中>米
  二極 米中 アテネスパルタ
  多極 19C~20C初欧
  無極

大 → ミドルレンジ → 個人 で分析
 オッカムの剃刀

3つの要素

 力  軍事力は重要だが、
 富  経済だけでも
 価値 ソフトパワー

ジョセフナイ
 
 貧しい村 銃殺 3人の村人 1人殺されたのでみせしめ
      1人を殺せば2人が助かる
    個人レベルの良心と、状況の下での良心が合致しない

 『未知への飛行』1964 
コンピューターの誤作動から戦略爆撃機が出撃
 1機だけモスクワへ 大統領の決断

スタンリーキューブリック
『博士の異常な愛情』 1964 


コラテラルダメージ 武器の無人化が 無関係な人・物 
 上空高いほど誤爆

人道的介入 時間軸加えて

国際政治に良心は無用?
 
 そうかもしれないが、必ずしもそうとはいえない。
 あからさまに大量の人間を殺すことは20c以降困難になっている

 1945核によって、未来への想像力 2度と
 ww1 毒ガス 英仏
 ww2 毒ガスは使われなかった

 抑止 ←→ 強制 国際政治では
 させない   させる


 ITとソーシャルネットワーク
  人権侵害を抑える面 広げる面
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