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昭和の選択「開戦を回避せよ!~近衞文麿・日米交渉の挫折~」 [歴史動画]

(2018日)南京陥落させて、和平交渉で「満洲国の承認」と「賠償金」は
条件が厳しく無理、という意見も出て分かっていながら、決裂させた。

現代でも、その気は無いが、一応、平和的なポーズはする、という言は見られる。
北進か南進かでも、結局、ソ連に利する動きだった。

ルーズベルトが興味を示した命を懸けた近衛だったようだが、
悪手を重ねた後で、何をしたかったのかよく分からない。

昭和20年の近衛によるソ連への和平案は、
沖縄と日本国民をソ連共産主義に売るものだった。

学生時代から一貫した親ソ反英米が底流にあるので、
国民のためではなく自己の名声を維持するためのポーズには
最大限の努力を惜しまなかったのでしょう。

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昭和の選択「開戦を回避せよ!~近衞文麿・日米交渉の挫折~」

----memo


文隆 文麿 篤麿

宮中で文化を担った

ww1後 英米主導の国際秩序

  近衛 英米本位の平和主義を排す


s12.6 45歳 総理

7  日中戦争
   国民精神総動員 大演説会

 南京陥落 世論熱狂

 ドイツ仲介 蒋介石と和平交渉 
  満州国の承認 賠償金の要求

 s13.1 事後、国民政府を相手にせず

 
 近衛の論文 英訳され 
 
 近衛のメディア利用

 近衛には政治的リソース (支持基盤)がなかった

 諸刃 世論にひきづられる

 s14.1 外交方針対立 第1次総辞職

 s14 ww2勃発 

  s15.7 近衛再登板
    独伊との関係強化を決定

  s15.9 三国同盟
 
   衝突をさける

 ひ孫忠大 米国巡遊日記
  ルーズベルト大 ハルと会っていた

 近衛の最大の失敗は人選
       風見章 2人で信頼あるわけでもない
  近衛の初物食い


 ルイスシュトラウス書簡
   日米の友好関係の回復を望む

 s16.2 野村駐米大使 ハル国務長官 に格上げ
   4.16外交文書 7つの日米諒解案
  非公式の試案 
    米の狙い 日本が三国同盟の軍事上の義務を
 
 日本の狙い 日中戦争の解決
     米が満州国を承認
ル大統領による中国への和平勧告
  
  日米首脳会談 

 が、ハルが4原則をもちだす
   野村は4原則を報告しなかった
   4.18 大本営政府連絡懇談会
    日本は諒解案に すすめようとした
 
 が、松岡は反対
     4月に日ソ中立条約 4国協商
    4.22 帰国  大喝采

 近衛の選択 日米諒解案か4国協商
        力     話し合い

  この時点では近衛はポピュリストではなくなった

 4.22 松岡帰国 大本営政府連絡懇談会
        松岡に反感 ひきこもる
  陸海軍首脳 松岡を更迭して諒解案でという意見

 が、近衛は松岡にアメリカとの外交を委ねる

  5.12 松岡修正案をアメリカに伝えた
    あくまで三国同盟を固辞
 6.21 ハル オーラルステートメント
      
 6.22 ドイツがソ連へ侵攻 四国協商崩れる

 7.18 第3次近衛内閣発足 
    南部仏印 
  
     在米資産凍結 石油輸出禁止

  軍部 早期開戦主張
  
  8月 米大統領の会談を望む
   ル アラスカでの会談を提案
  が、ハルは消極的
  9月6日 帝国国策遂行要領 軍の意向
       10月上旬まで 米とのメド

  高村坂彦メモ 
    
    もはやルと会談するしかない

 ハルは4原則と中国からの撤退を譲らない

 10.16 総辞職 東条内閣へ

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