SSブログ

大河ドラマ 黄金の日日 第7話 琉球丸難破

(1978日)


永禄13年(1570)4月、信長家康連合軍は3万の兵を朝倉に向けたが、
浅井の裏切りにより金ケ崎より撤退。京に到着。
信長は態勢を整えようと岐阜に戻ることにするが、道中、暗殺者が襲うも助かることとなった。


ogon071.jpg

暗殺を指示したのが今井宗久の息子兼久だった。
犯人の善住坊が捕まれば今井家が潰されることになると、
兼久は父と一蓮托生だと恫喝した。


ogon072.jpg

堺の南に位置する北の荘(泉大津)にある宗久の妾しまの家に
助左は善住坊を隠れさせた。


ogon073.jpg

宗久は後難を恐れ善住坊殺害を石川五右衛門に支持指示。
五右衛門は助左に褒賞100貫の半額を提示し刀で脅したが、
助左は知らぬと返答。


ogon074.jpg

6月の「姉川の戦い」で信長家康連合軍は勝利したものの、浅井朝倉を滅ぼした訳ではなかった。
そこで、足利義昭が信長追討の御内証を本願寺に出す。
堺の豪商集団会合衆の能登屋平久と津田宗久宗及は反信長で三好と通じようとする。



ogon075.jpg
NHKオンデマンド 黄金の日日


助左は善住坊を助けようと琉球船に乗せたが、五右衛門が宗久の命で殺そうと乗り込んでいた。





コメント(0)