SSブログ

草燃える 総集編 第5回 尼将軍・政子(最終回)

(1979日)

建仁3年(1203)9月7日、比企能員の変を経て源実朝(11)は第3代将軍となった。
祖父の初代執権北条時政が支えた。
頼朝以来の功臣を潰しにかかる。


kusa1.jpg

元久2年(1205)6月22日、 畠山重忠 享年42 (ウルトラセブン)
時政の前妻の娘婿だったが、息子の重保と牧の方(時政の後妻)の娘婿の平賀朝雅との揉め事から謀反の疑いをかけられ滅ぼされる。


kusa3.jpg

が、人望のあった畠山重忠一族を滅ぼしたことは後味が悪く、
義時や政..
vbc-1

草燃える 総集編 第4回 頼家無惨

(1979日)

建久10年(1199年)1月13日、頼朝急死により、18で頼家が第2代鎌倉殿となる。


kusa1.jpg

争いがあれば、即決裁判で所領没収。親しい者に分け与えた。
当然に、不満となり、わずか3か月後に13人の合議制となった。

13名の中に安達盛長がいたが、息子景盛の妻を拉致して妾にするなど、
頼家に分別はなかった。


kusa2.jpg

梶原景時(左)、頼朝を「石橋山の戦」で救い重用されたが、頼家の代となり、
66人の景時排斥の連判状が提出され、正..
vbc-1

草燃える 総集編 第3回 征夷大将軍

(1979日)

文治元年(1185)3月、平家を滅ぼした。
が、後白河法皇は功労者たち24人に官位を与えた。


kusa1.jpg

4月、激怒する頼朝は、勝手に受けた者たちに、
「月夜の晩ばかりではないぞ」「・・・れば、命は無いものと思え」
など、手紙を書かせた。



4月24日、義経、壇ノ浦から京へ凱旋。
5月15日、義経、鎌倉へ向かうも入れなかった。京へ引き返した。


kusa2.jpg

10月17日、頼朝、土佐坊昌俊に義経を襲撃させた。
     義経..
vbc-1

草燃える 総集編 第2回 平家滅亡

(1979日)

前回、治承4年(1180)8月17日、頼朝が挙兵。
紆余曲折を経て、10月20日「富士川の戦」で勝利。
翌21日、黄瀬川で兄と対面する。


kusa1.jpg

当時21の義経、奥州藤原氏に世話になり部下を引き連れてきた。

10月25日、鎌倉へ凱旋する。


kusa3.jpg

北条時政の次女保子と阿野全成(頼朝の異母弟、義経の異母兄)の婚礼。
義経の態度が大きく、ウザがられる。


寿永2年(1183)信濃の木曽義仲と衝突寸前となったが、
3月..
vbc-1

草燃える 総集編 第1回 頼朝起(た)つ

(1979日)永井路子原作小説。脚本中島丈博。
永井さんの喜劇にしてくれとの注文のようで、面白かった。
脚本も凝ってるが、演出と俳優陣の演技力の幅と余裕なのでしょう。


平治元(1160)年12月の平時の乱にて、14歳の少年は伊豆に流された。

時が経って、治承元年(1177)、頼朝30、教養も身につけ立派になった。


kusa1.jpg

頼朝、安達盛長(武田鉄矢)を従えていた。


kusa2.jpg

京都から帰ってきた時政は、政子が頼朝と恋仲になっていたことに激怒。..
vbc-1