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麒麟がくる (23)「義輝、夏の終わりに」

(2020日)

永禄7年(1564)9月、天下人三好長慶が死んだ。
将軍足利義輝は喜び、光秀を尾張に遣り信長の上洛を求めた。


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信長は恭しく挨拶するも、美濃との交戦を理由として断った。
義龍も死に、若き龍興の時代となっていた。


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木下藤吉郎と出会う。
義輝暗殺の糸を引いているのが松永久秀だと聞く。


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その頃、大和では後に将軍義昭となる覚慶という坊主が大和で施しをしていた。
駒という薬売りの少女に尾行されるも逃げることに成功する。


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光秀は大和の松永久秀を訪ねた。
久秀は、3つの壺の2つを割り、残る1つを価値ある壺とした。
価値を決めるのは人間であり、将軍もそうだとした。

久秀は義輝を追放するつもりだが、殺したい者たちを抑える力が無いとした。
そこへ、あれほど忠義を尽くそうとした細川藤孝も来るも、
もはや義輝の夏は終わったようだった。


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光秀は最後の挨拶をした。
義輝は、もっと早く来いよ、と越前に帰らせた。


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駒の万能薬の1袋5粒700袋の大量の注文を伊呂波太夫が取ってきた。
前金から2割を引いて望月東庵が受け取った。


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越前に帰った光秀だった。
家族は朝倉義景が支えてくれていた。

どうにか無事に、永禄7年を終えようとしていた。



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NHKオンデマンド 麒麟がくる (23)「義輝、夏の終わりに」

が、翌、永禄8年(1565)5月、久秀の息子の久通、長慶を継いだ甥の義継、
三好三人衆が、1万の軍勢を率い、二条御所を襲った。

後に将軍となる足利義昭は覚慶という僧だったが、
政治の舞台に登場することになるのは時間の問題、という覚悟はあったのでしょう。





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