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青天を衝(つ)け (15)「篤太夫、薩摩潜入」

(2021日)


文久4年(1864)、朝議参与として京都で構えていた一橋家に仕えることとなった栄一と喜作だったが、初俸禄となった。


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4石二人扶持。京都滞在中の月手当が金4両と一分だった。
その際、2人は「篤太夫」「成一郎」と円四郎から新しい名を頂いた。
断われなかった。


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(川村恵十郎 猪飼勝三郎)

元々、酒浸りの藤田東湖の息子を叱った栄一を評価し平岡に勧めたのは川村だった。
小仏関所で働いていたが建白し前年に一橋家家臣となったばかりだった。

猪飼は長く仕え、慶喜を足で蹴り鼻血を出させたり、髪剃りでケガをさせたが、
慶喜は自分がしたことにして赦した。切腹せずに済んだ。
これはなかなかできない器量だった。


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(折田要蔵)

栄一は円四郎から砲台技術のスペシャリストである折田を探ってくる仕事を受けた。
内弟子となる。


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(栄一、川村純義、三島通庸、西郷隆盛、折田要蔵)

西郷は安政の大獄で幕府から逃れるため改名し大島での生活、
帰ってこれたと思ったら文久2年の卒兵上京の際に久光を怒らせ
徳之島・沖永良部島行きとなり、ようやく戻ってきた。


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(平岡円四郎、黒川嘉兵衛)

折田を手伝うことで山階宮との接触を知った栄一は円四郎に報告。
禁裏御守衛総督を狙った薩摩の動きと捉え、平岡は慶喜に報告。
慶喜が受けるよう画策することとなる。
もはや政治を嫌い避けれる立場ではない慶喜は、自ら望んだ。


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(慶喜、会津藩主松平容保、桑名藩主松平定敬)

3月25日、京都御所で慶喜は禁裏御守衛総督を受けることとなった。
容保は京都守護職を再任、容保の弟定敬は京都所司代となった。


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(島津久光、大久保一蔵)

禁裏御守衛総督を奪われた久光は激怒。
兵力の無い一橋家といえど現段階で薩摩は勝てないので大久保は薩摩への帰還を勧めた。


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久光は、力を蓄えることとし大久保を連れて帰った。
西郷を京都に残した。


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慶喜は水戸の武田耕雲斎に藩士を2~3百名送って欲しいと手紙を送る。
が、藤田小四郎は3月27日筑波山にて挙兵した。天狗党の乱だった。


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NHKオンデマンド 青天を衝(つ)け


栄一は、折田塾を去る際、川村純義と三島通庸に命を狙われるも、
西郷に助けられる。

円四郎の命で来たのかと聞かれ正直に答え、
この先の日本がどうなるか聞かれると、幕府は終わり有力な豪族が引っ張ると答える。
慶喜が相応しいとしたが、西郷は薩摩ではダメかと問う。
が、栄一は、久光の徳を西郷に問うた。

文久2年に仕方なく命令違反し徳之島行きとなるも、
大島の妻子と会っていることを知った久光に沖永良部島へ変更された因縁もあった。
西郷は、智弁俊逸の円四郎の身を心配する。

折田の任務を終えた栄一の次の仕事は関東での人材募集だった。





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