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青天を衝(つ)け (25)「篤太夫、帰国する」

(2021日)


明治元年(1868)12月3日、昭武一行は横浜に帰着した。
杉浦愛蔵が出迎えにきていて、薩長の無礼を避けるため昭武は小舟で上陸地を変えるよう進言。
所持品検査の上、帰ってきたら主がいなくなった浦島太郎だと官軍の口に容赦はなかった。


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(田辺太一 福地源一郎 杉浦愛蔵)

栄一は、日本のことを聞いた。


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この年の1月、戊辰戦争となり慶喜は大坂から江戸に戻った。
静寛院となった和宮との面会を望んだが拒否される。
天璋院は「こげんチャチなお方じゃったとは」と面罵。


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静寛院は朝廷に執り成しの手紙を書いた。
岩倉具視が読み感涙する。


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西郷吉之助は天璋院から手紙を受け取り、
江戸城の無血開城の一因となった。


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小栗は閏4月6日、死去。


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少し遡り、無血開城となった総攻撃予定日の3月15日、川路聖謨自決。 


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成一郎は彰義隊を作った後、振武軍の頭となり、惇忠と平九郎も加わり戦っていた。
が、7月、平九郎が埼玉県飯能市近傍の黒山で討死。
夏に出獄した長七郎は11月に死去。
惇忠が帰ったものの母は2人の息子を喪った。


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成一郎は振武軍で敗れた後、函館へ向かった。
蝦夷共和国箱館奉行となった三島由紀夫の高祖父永井尚志が激を飛ばす。


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フランスから持ち帰った旅費の清算をし残金の内8000両で鉄砲を購入したが、
約1000丁?を水戸へ向かう昭武に持たせ、身の安全を図ったのでしょう。



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NHKオンデマンド 青天を衝(つ)け


フランスから帰り荷物などを始末をしている際、
三井の三野村利左衛門と出会ったようだ。






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