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鎌倉殿の13人 (39)「穏やかな一日」

(2022日)


元久2年(1205)閏7月、牧氏事件にて義時は父時政を伊豆に追放した。


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承元2年(1208)2月、実朝は天然痘を患うも、数か月後回復する。
実朝が成長するまでの間、義時が支えるよう政子は望んだが、
義時は、兄宗時が坂東の者が上に立つことを望んだと語る。


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実朝は泰時に歌を贈り返歌を求めた。


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後鳥羽上皇側近の源仲章が実朝の教育係として鎌倉にやってきた。
義時に挨拶し、あなたの味方だと語る。


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藤原定家の和歌の添削で、三好康信の立場がなくなる。
優しい実朝はこれからも力になってくれるよう頼んだ。


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側室候補者との面談だったが、話を聞くことにする。
ヒドイ男がいたとのことだったが、義時と先妻比奈との子北条朝時だった。


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和田義盛が御家人の柱になれと推され上総介を求めてきた。
実朝は何とかしようと承諾するも、義時は義盛を黙らせる。


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実朝が回復し、善哉と母つつじが挨拶にきた。


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義時に平盛綱を与えられた鶴丸は、その日の弓で腕を証明。
喜び合う2人を見ていた男がいた。


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義時は、実朝に平盛綱を御家人にするようお願いする。
が、実朝は拒否。和田義盛の上総介を拒否したこと、守護の任期2年にしたことを考えれば郎党を御家人にすることはできないとした。義時は正論だとし伊豆に戻ると恫喝。
ここで、「そうかすまぬ。ご苦労であった。」と承知するには、実朝は若すぎた。



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NHKオンデマンド 鎌倉殿の13人


その日、実朝は不安な妻に婉曲にカミングアウトする。
自由になれた気がした15の夜だった。





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