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鎌倉殿の13人 (41)「義盛、お前に罪はない」

(2022日)


建暦3年(1213)5月、北条義時は和田義盛を追い詰めることに成功。


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既に後には引けなくなり、義盛は止むを得ず決起することにした。
但し、敵は北条とし、鎌倉殿には弓を決して引いてはならないと厳命。


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義盛は寝返るなら早い方がいい、義時につけと口にする。
起請文で神仏に誓わせた縛りを解くことになった。

御所の南門から攻めると、正面には三浦義村がいることとなる。


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西門の守りを泰時が命じられる。
和田の軍勢が来た際に、既に鎌倉殿は鶴岡八幡宮に退避していたが、
泰時は、いるかのように振舞い守り切る。


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夕方になり御所に火の手があがり、不安となるも、
義時が、大義名分がある方が勝つと安心させる。


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実朝が持ち忘れたドクロを大江広元が取りにいく。
見事な太刀さばきを披露した65の夜だった。


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翌朝、相模・伊豆から来る軍勢に対して鎌倉殿の命で帰順させることとなる。
和田勢は由比ヶ浜で態勢を立て直していた。
民家を解体し守りながら追い詰めることに成功。
泰時の閃きだった。


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壮絶な抵抗が予想され、義時は実朝に説得してもらうことにした。


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感激する義盛だった。
が、義時の合図で義村勢が容赦なく矢を射る。全身に受けることとなった。
義時は、鎌倉殿に取り入ろうとする者の末路、だとした。


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次世代に起こる和田一族の台頭を未然に防ぐため、
罪無き者を落し入れた勝利だった。



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NHKオンデマンド 鎌倉殿の13人



山はさけ海はあせなむ世なりとも
君にふた心わがあらめやも


実朝が後鳥羽上皇に贈った歌だった。





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