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鎌倉殿の13人 (40)「罠と罠」

(2022日)


建暦3年(1213)2月、泉親衡の乱が発覚。


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その頃、朝廷は閑院内裏の修復を鎌倉に負担させることとした。


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泉親衡の乱の参加者リストに和田義盛の甥胤長(平太)と息子2人の名もあった。
義盛は仔細を聞く。


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息子2人は、泉親衡なる者の話を聞きに行こうと平太に誘われただけだった。


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義盛が義時に頭を下げ許しを請いにきた。
息子はお咎め無し、が平太は大勢の御家人を誘ったことで流罪となる。


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が、義盛は納得せず、一族で平太の赦免を願いに御所に来た。


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釈放されるはずもなく、病だった平太の娘が他界。
ここで義盛は決心する。


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その頃、実朝夫妻は歩き巫女に占ってもらう。
鎌倉で戦になるという。


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和田義盛を救いたい実朝の意を汲み政子は奥の手で義盛を御所に呼ぶ。
実朝は義盛を説き伏せ、思い留まらせた。
そして2人をまとめようとする。


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が、和田義盛邸では一族が武装し戦の準備がなされていた。
義盛の妻巴御前が、三浦義村、八田知家ら4人に起請文を要求。



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NHKオンデマンド 鎌倉殿の13人



裏切らないと神仏に誓う起請文を燃やした灰を水に溶かして飲む。
これで和田と三浦の天下かと思われた。






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