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いだてん~東京オリムピック噺~ (41)「おれについてこい!」

(2019日)

田畑は東京五輪組織委員会の事務総長になり、岩田を渉外担当とした。
昭和32年からJOC委員を40年も務めた岩田幸彰を田畑は必死で口説いて秘書にしたようだ。


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亀倉雄策が総合デザイン顧問となる。
東京五輪独自のシンボルマークを作ることになった。


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亀倉の締切直前の思いつきだった。


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黒澤明も協力を申し出、田畑は快諾。


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岩田を1年間ローマ五輪の視察をさせ、「トトカルチョ」を日本に持ち込む提案となったが政治が反対した。

池田内閣でオリンピック担当大臣だった川島正次郎と折り合いが悪かった。



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いだてん~東京オリムピック噺~ (41)「おれについてこい!」


選手たちの宿泊施設を距離が5分の代々木にしたかった。
が米軍と交渉しなければならなかった。田畑は必死に平沢和重を説得する。
1932年ロス五輪の思い出があり、人種や思想など関係なく、混在の中で、
純粋にスポーツだけで勝負し、終わったら選手村で称え合う、
全ての選手が生涯自慢できるような大会としたいがためだった。





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