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太平記 第9回 宿命の子

(1991日)

正中2年1月(1325) 足利高氏は19だった。
この年、後に執権となる北条守時の妹登子との結婚したが、
前回、お披露目の席で、長崎円喜暗殺未遂事件が起こった。
第14代執権北条高時が犯人だった。


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この暗殺団の中に花夜叉一座の石も加わっており、帰ろうとする高氏を殺しにかかった。
家族が足利家の連中に殺されたことと、妹となった藤夜叉との件だった。
登子にも知られることになった。


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その日、父が倒れ、貞氏は高氏に語った。
高氏の祖父にあたる家時が北条の責めにより自害したが、
それを貞氏が看取り、血の置文を受け取ったと言う。

「自分は才乏しく、家を維持するだけだったが、北条を倒せ、できないなら子どもにさせろ」
という内容だったと言う。

そして、この日をもって家督を譲ることとした。


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(高師直 高師重)

執事の高師重は、貞氏に仕えていたが、師重もこの日、師直に家督を譲った。
そして、血の置文を高氏に渡そうとしたが、
高氏は確認せず、見るべき時が来るまで預かっといてくれと師直に命じた。

高氏は、上総と三河の守護となり、鎌倉御家人の内最大の御家人となった。


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(覚海尼)

暗殺に失敗した高時は東慶寺に移った。
北条守時(赤橋)らが集まったが、母の覚海尼が仕切り、次の執権が長崎円喜派の北条貞顕(金沢)であっても、得宗家が仕切ると怒鳴った。



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(金沢貞顕)

第15代執権には、北条貞顕(金沢)となったが、
覚海尼と上手くいかず10日で辞めた。正中3年(1326年)3月のことだった。

「嘉暦の騒動」という内管領の長崎氏と安達氏の内紛をばっさりと省略している。


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(赤橋守時)

第16代執権となった守時だったが、長崎円喜の存在が煙たかった。


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TSUTAYA 太平記 完全版 


元弘元年(1331年)4月となり、後醍醐天皇の倒幕計画が側近の裏切りで幕府の知ることとなった。

対策会議が開かれたが、穏便に済ませたかった執権の守時に対し、
長崎らは強硬策だった。

守時が、諸将が長崎円喜宅に集まることを咎めたが、
円喜は、「ならば執権殿も来られよ」とのたまわった。


高氏と登子の結婚は元服後すぐで、家督は元弘元年(1331)9月の父の死なのでしょう。
ドラマでは京での藤夜叉との出会い、正中の変、翌年の結婚、家督相続を連続させ、
第14~第16代執権の交代劇と合わせることで、これが吉川英治の面白さなのだと感嘆いたしました。




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