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麒麟がくる (44)「本能寺の変」(最終回)

(2020日)


天正10年(1582)5月、光秀は安土城で暴行を受け家康への饗応の役を解かれた。
別室で畏まっていた光秀に、信長は家康を試すためだと言ってのけた。


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四国・長宗我部攻めを三男信孝に命じたと言う。
光秀にとっては家臣斎藤利三を通して親しかったが、
毛利攻めに消極的な長宗我部を光秀の関係を無視し秀吉勢に味方した。

更に、毛利に匿われ鞆の浦にいる足利義昭を殺せと命じた。
諸国に文を送って反信長を煽っている表の黒幕が義昭だった。


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公家の蹴鞠に呼ばれ細川藤孝は丹後から来ていた。
近衛前久は京情勢を話し、光秀と信長の関係が危ないと語る。
松永久秀、佐久間信盛の件もあり、近衛はどちらにつくか藤孝に迫った。

「そうならぬことを祈る他ありません」と100点満点の即答だった。


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近衛前久は伊呂波太夫にも語る。


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藤孝が挨拶に来た。
2人を下がらせ、デリケートな話となる。
藤孝は、鞆の浦へ攻める件を光秀に確認。
光秀は断ったが、更に説得するという。
藤孝は覚悟を求められたが、どれほどの覚悟か聞き返した。
自分が昔使った言葉だったが、藤孝の覚悟は軽く、
帰路、毛利攻めで備中にいる秀吉に光秀謀反の可能性を伝える。


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近衛前久が参内し、光秀と信長のどちらに味方するか問うたが、
正親町天皇は「見守るだけぞ」と、言質を避けた。


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(藤田伝吾、明智左馬助、斎藤利三)

5月29日、信長は本能寺に入った。丹波亀山城にいた光秀は、3人に語る。
そして、刀を自らの前に置き、自分を斬るよう迫った。


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菊丸が光秀を護るよう家康の命で来た。
が、光秀は堺にいるのは危険で三河に戻るよう帰らせる。
所詮1人の戦だと悟っていたが、味方になって欲しいということと、
負けた場合に、後を家康に任せると、「一生のお願い」を使った。


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6月1日夜、光秀は亀山城を出発。
同じその夜、備中に細川藤孝からの手紙が届いた。
秀吉は「さっさと帰り支度じゃ」と喜色を浮かべた。


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軍師官兵衛は「はっ」「はっ」と2回言い、立ち去った。
笑うところだった。

今までの俗説では、信長死亡の知らせを聞いた秀吉が泣き叫び、
官兵衛が秀吉に天下を狙う絶好の機会となったと伝え、
これを機に秀吉が官兵衛の智謀を恐れて距離を置き始めたと描かれていた。


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6月2日、早暁、本能寺を囲む。


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謀反が光秀だったことに喜び、
信長は「であれば、是非もなし」と笑った。


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自ら派手な立ち回りを演じた。


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最期、蘭丸に燃やし尽くすよう命じる。



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NHKオンデマンド 麒麟がくる


3年後、駒は、町で光秀を見かける。
追いかけたが、見失ってしまった。






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