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いだてん~東京オリムピック噺~ (6)「お江戸日本橋」

(2019日)

明治44年(1911)11月18日のストックホルム五輪の予選会で
金栗四三は優勝した。


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四三は播磨屋の足袋がボロボロになったので改良をお願いしたが、
文句ばかりだったので店主の激怒を買っていた。
今回、謝ったが、お願いするまでもなく、3枚重ねで作ってくれていた。


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嘉納治五郎が設立した大日本体育協会だったが、
嘉納自ら「ストックホルム五輪に行ってくれ」との要請する。
が、四三は断った。単に試したかっただけで優勝カップに刻まれていた
オリンピックという意味も知らなかったようだ。

後日、嘉納が頭を下げることになり、四三は引き受けたが、
後で自費と知る。大変なことだった。



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しかも、そのころ中国大陸では辛亥革命があり、
祖国からの送金がストップした留学生約100名の滞在費用
数億円を嘉納が引き受けた。



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いだてん~東京オリムピック噺~ (6)「お江戸日本橋」

その頃、橘家円喬に弟子入りした古今亭志ん生は、
浅草・日本橋間を何度も往復したそうだ。
円喬は、落語の練習をしながら、町を観察していた。





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