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英雄たちの選択 「警察誕生~川路利良、恩人西郷との対決~」 [歴史動画]

(2019日)

川路が明治5年9月から1年間の欧州視察を終え、帰国後建議書を提出し
明治6年10月に西郷の下野となる。
いくら西郷に引き上げてもらったからといって、
着いていくほど、プライベートで親密だった訳ではないでしょう。

城下士でない郷士も倒幕の過程で多くの命を失ったが、
軍人が士族で、警察が郷士と旧時代の身分制を明治でも組み込んだことに、
川路とすれば、引き上げて貰っても「西郷さんに命を預けよう」とまでは
そもそも情に深くは響かない。

そもそも西郷の論理が分からない川路とすれば、警戒するしかない。

西郷の回文を残していたのは、少しばかりの恩情が残っていたか、
"敵の物"を所有し征服欲が満たされる心理だったのやもしれません。
昔なら殺した相手の妻を娶ったり、信長なら浅井長政のシャレコウベを楽しみもした。

川路にとっては、キリスト教へ改宗した下野後の西郷は、
敵と看做して葬ることが、"恩返し"という心理だったのやもしれません。


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英雄たちの選択 「警察誕生~川路利良、恩人西郷との対決~」

----memo

官僚的役人的
公と私
与力の子 武士とみなされない
農業で生計たてながら 

飛脚になる 薩摩と江戸を何度も往復
剣術の指導もしている

高杉晋作は江戸で 川路を「志ある者なり」

1864 禁門の変 31歳一兵卒で 
勇猛果敢 西郷がこれを見て 大隊長へ抜擢

戊辰 会津まで戦う

m4 西郷から首都東京の治安維持を
 士族3000人を雇用 1000人が薩摩藩士 邏卒らそつ

m5 邏卒総長 
  飛脚や斥候経験で江戸を熟知していた。


親分子分を好まない

西郷は 与力に治安維持を 

暗殺横行
犯罪を未然に防ぐ警察組織が必要

m5,9 欧州視察団 
m6.9 帰国
すぐ建議書提出 警察は国家平常の治療なり

大久保 内務省創設の準備 目をつけた
 建議書の翌月 西郷下野

邏卒も100人以上薩摩へ帰った

警視庁創設時 5300

m9 廃刀令など 不満 乱の鎮圧に 軍の後方支援

警察官の増員計画 元会津藩家老佐川に 会津や東北諸藩へ
  佐川旧会津藩士300人  敗者で忍耐力があった
  取り込み 乱へ使える 一石二鳥

 m9 川路は西郷らを時代遅れ


警察で刀を 警棒だけでない意味
 警察手帳  均一サービス お守り


密偵で私学校怒り

西南戦争 13000人の警察官が従軍
  従軍手帳 

6月 陸軍少将 別働第三旅団長辞任

子孫の家に 西郷が死の20日前に書いた回文

m1210 46で死去
墓前に桜島の溶岩




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