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翔ぶが如く 第1部第29回 維新成る (第1部最終回)

(1990日)

慶応4年(1868)3月14日、西郷と勝が江戸で2回目の交渉がなされた日、
京都では、五か条の御誓文が発布された。
長州の木戸孝允の積極的な運動で、15の天皇の誓約となった。


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当時、御所にあった500両が新政府の事情で、戦の準備も大変だった。
桂が大村益次郎の投入を進言。
江戸では勝の苦肉の策だった治安に携わる彰義隊と官軍が衝突しており
西郷のメンツもあったが、大村を投入することになった。


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会議で、大村がリードするも、薩摩の有村俊斎が猛反発。
大村は俊斎を軽く扱う。


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(西郷吉之助、西郷小兵衛、勝海舟)

勝の留守に官軍が手入れに来たようだ。
江戸城明け渡し後、彰義隊も江戸の治安を担っていたが、
大村が彰義隊を切ったという意味だと勝は言った。

吉之助が天からの人物かもしれないと言った。
勝は、坂本竜馬が仕掛け人なら、大村は仕上げ人だと言う。


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5月15日、上野戦争となり、官軍勝利を大村が導いたが、
吉之助が北越に行きたかったのを大村が却下した。
コケにされたと俊斎が抗議する。
大村は、西郷が行くまでに戦が終わるので無駄だとしたが、
俊斎の大村憎しは蓄積される。

後に、俊斎は、元長州藩士を焚きつけて大村の暗殺に成功する。



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(西郷吉之助、小兵衛、信吾、吉次郎)

吉之助、藩主島津忠義と共に6月中旬、京都を発ち、鹿児島に帰省。
7月23日に北越薩摩軍の司令官となり、8月6日に鹿児島を春日丸で出航した。
が、到着時、長岡城は陥落するも、吉次郎が柏崎病院で8月14日死亡する。


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(木戸孝允、吉井幸輔、伊地知正治、大久保一蔵)

7月に江戸が東京、9月に明治となる。
10月、天皇に供奉し江戸城に入った一蔵だったが、
木戸が、西郷が無断帰国したことを問いただした。
いちいち何かを言いたい男のようだった。


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(西郷吉之助、寅太郎、菊次郎、いと)

大島から7歳の菊次郎が引き取られていたところを
明治元年(1868)11月、吉之助は戦から戻った。


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(島津久光、小松帯刀、大久保一蔵)

明治2年(1869)2月、勅使の柳原前光と共に大久保一蔵は鹿児島に入ったようだ。
版籍奉還の話で、小松は率先して領地を返上、久光を説得。

勅使は藩主忠義と会ったのでしょう。柳原前光は大正天皇の母愛子の兄。



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翔ぶが如く 第1部第29回 維新成る (第1部最終回)


吉之助は一蔵の新政府への誘いを断った。
戦が終わったが、戦死者が少ないとした。

生き残った者たちを抑える必要があった。
この段階での吉之助の問題意識だったが、この問題意識を持ち続けた。

そして、第2部となり、新政府に出仕することになる。


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順序が逆となりましたが、『翔ぶが如く』第1部第2部、完了いたしました。

昨年の大河ドラマは『西郷どん』で、はじめは見てませんでした。
どうせ、西郷隆盛の裏面は映像化しないので面白くないだろうと考えていたからです。

その1つが西郷隆盛がクリスチャンになったということで、なるほどなぁとは思っていたのですが、
1年前の↓の日記にある映像を視聴し、届いた『西郷隆盛と聖書』をスグに読み、
https://vbc-p.blog.so-net.ne.jp/2018-07-28

8月1日から『西郷どん』を第1話から視聴しはじめました。
8月25日から『翔ぶが如く』も第2部からはじめ、私の趣味としての大河が始まりました。

『西郷隆盛と聖書』が私にとっての大きなターニングポイントの1つでした。

視聴した感想は、もの凄く、面白かったということです。
本来、限られた時間と条件下で全ての事実を表現できる訳はないと割り切れば、
あらゆる人たちが、それぞれの仕事に熱量を注いでいる作品が、
もの凄く、尊いモノだと思えてきたのです。
両作品で何度も、涙いたしました。

私は西郷隆盛を尊敬するとは言いませんが、
今日の日本が、かろうじて存続しているのも、彼の決断があったればこそであり、
「ありがとう」と感謝するしかありません。

この1年間で西郷や大久保、幕末明治の書籍を10冊位は読みましたが、
映像の力は大きいですね。







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23:58に下書きした内容で、日をまたぎ午前1時ごろ、29日付で投稿いたします。


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