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いだてん~東京オリムピック噺~ (26)「明日なき暴走」

(2019日)

昭和3年(1928)6月、アムステルダム五輪となり、
女子は唯一、人見絹枝が参加した。
男子選手の服の洗濯を担当させられた。


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新聞社内では、モールス信号で競技の結果を知った。


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絹枝の100mは4位、陸上が惨敗で、控室は落胆一色だった。
が、そこで絹枝は経験もないのに800mに出させろと要求しだした。
女子選手初であり、女子の希望がかかっていたので、
男子選手とは違い、そのまま帰る訳にはいかない、とした。


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その熱意に作戦会議を行うことを条件とした。


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スタートでダッシュ。先頭だったが、後ろに着くことを指示され6位ほどの位置を走ることにし、
最終段階でスピードを上げることにする。
腕を大きく振ることを指示され、2位の選手を抜かした。
銀メダルとなる。


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いだてん~東京オリムピック噺~ (26)「明日なき暴走」


鶴田義行、平泳ぎで金、高石勝男が100m自由で銅。
水泳800mリレーで銀だった。

陸上三段跳で織田幹雄が金だった。


この五輪後、人見絹枝が忙殺の為、24で他界した。
二階堂トクヨが「スポーツが絹枝を殺したのではなく、絹枝がスポーツに死んだのです」という言葉を残したそうだ。




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