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おしん 158~160回 自立編

(1983日)

大正14年(1925)、おしんが8~16歳までの奉公先だった加賀屋のくにが死んだ。
76歳で、おしんが25の時だった。
「加代を頼む」と言われたが、この時は加代により店を出すことができた。

一膳飯屋をすることになり、元手は加賀屋が持ち、
店の名前も加代の好意により「加賀屋」となる。父の清太郎も了承した。
母のみのが暖簾をプレゼントし、加代は招き猫を用意した。


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が、初日の来客は0だった。米を炊いていた分をおにぎりとし、
2個7銭で売ろうとしたが、売れず、
港まで行って船員たちに無理やり食べてもらった。
落ち込んだおしんは、2日目から「休み」にした。


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実は、ビラを大量に手書きで準備していた。丸2日間、数十枚書き、
開店4日目に町中に張りめぐらし、手で配りもした。

夕方5時、お客さんが来てくれた。初日におにぎりを押し付けた人たちが最初だった。
加代も手伝い、52人だった。忙しかったが、1円の利益がやっとだった。


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加代が遅くなることが続いたが、帰ってきたばかりの夫の政男は理解を示した。
自分の不倫の負い目と、加代の祖母を亡くし、加賀屋での仕事から離れた空虚感だとした。


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NHKオンデマンド おしん 158~160回 自立編


酒を注文する客に困っていたが、加代は勝手に売り出した。
飯屋のつもりだったが、飲み屋になってしまった。

料理は手間暇かけて1人2銭の利益だったが、酒は1杯5銭の利益だった。

が、どういう負の影響がでるのか分からなかった。




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