鎌倉殿の13人 (20)「帰ってきた義経」
(2022日)
文治3年(1187)平泉。
義経は奥州の藤原秀衡を頼った。
10月、藤原秀衡他界。正妻の妻の子である次男の泰衡に家督を継がせ、
側室との長男である国衡に妻を娶らせた。
文治5年(1189)閏4月、義時は頼朝の名代として秀衡の供養に行くこととなった。
義経に静のことを話した。
しづやしづ しづのをだまき くり返し
昔を今に なすよしもがな
死を承知した静を見届けるしかなかった。
男の子が誕生したが、善児が殺める。
義時は、泰衡に義経が反鎌倉感情が高まり国衡と兵を挙げようとしているので、
その前に殺して首を鎌倉へ送るよう指導してあげた。
それを聞いていた異母弟の忠衡が義時の企みに気づき刀を抜くが、善児が素早く討つ。
かつて命令とはいえ妻八重の長男千鶴丸を殺し、祖父伊東祐親も殺した男だったが、
義時は助けられ、過去のことと流したのでしょう。
泰衡勢に囲まれ、死を前に郷は義経に本音をぶちまけた。
京で土佐坊昌俊に襲わせたのは自分だとも白状。
兄頼朝の仕業だと思い込み源行家の口車に乗って挙兵したのも、
こいつのセイだと義経はキレ、殺してしまう。
弁慶には「世話になった」と礼を言う。
NHKオンデマンド 鎌倉殿の13人
招き入れた義時に鎌倉攻略の策を語り感服させる。
梶原景時への文を預け、景時をも認めさせた。
文治3年(1187)平泉。
義経は奥州の藤原秀衡を頼った。
10月、藤原秀衡他界。正妻の妻の子である次男の泰衡に家督を継がせ、
側室との長男である国衡に妻を娶らせた。
文治5年(1189)閏4月、義時は頼朝の名代として秀衡の供養に行くこととなった。
義経に静のことを話した。
しづやしづ しづのをだまき くり返し
昔を今に なすよしもがな
死を承知した静を見届けるしかなかった。
男の子が誕生したが、善児が殺める。
義時は、泰衡に義経が反鎌倉感情が高まり国衡と兵を挙げようとしているので、
その前に殺して首を鎌倉へ送るよう指導してあげた。
それを聞いていた異母弟の忠衡が義時の企みに気づき刀を抜くが、善児が素早く討つ。
かつて命令とはいえ妻八重の長男千鶴丸を殺し、祖父伊東祐親も殺した男だったが、
義時は助けられ、過去のことと流したのでしょう。
泰衡勢に囲まれ、死を前に郷は義経に本音をぶちまけた。
京で土佐坊昌俊に襲わせたのは自分だとも白状。
兄頼朝の仕業だと思い込み源行家の口車に乗って挙兵したのも、
こいつのセイだと義経はキレ、殺してしまう。
弁慶には「世話になった」と礼を言う。
NHKオンデマンド 鎌倉殿の13人
招き入れた義時に鎌倉攻略の策を語り感服させる。
梶原景時への文を預け、景時をも認めさせた。
2022-05-23 00:00
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