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鎌倉殿の13人 (21)「仏の眼差(まなざ)し」

(2022日)


文治5年(1189)6月13日、鎌倉に義経の首が届けられた。


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義時がブルーになっているところに、13人の1人、八田知家が現れる。
鎌倉の道路整備を担当していた。孤児の鶴丸を義時に預けた。


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9月、頼朝は奥州を攻めた。圧勝だった。
主君を裏切り泰衡の首を届けた河田次郎に死を賜ってやった。
戦が終わり次の時代には「忠義」が大事だった。


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奥州から凱旋すると北条時政が京から帰っていた。
後白河法皇との双六でも接待せずに板東武者坂東武者の矜持を見せた。


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後白河は奥州攻めの褒美をくれてやると文を送るも、
頼朝は何も求めなかった。遠慮という訳ではなかった。


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時政の娘ちえ と畠山重忠との間に子を宿した。


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同じく時政の娘あき は、稲毛重成に嫁いでいた。


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政子の弟となる時連は大姫の叔父さんだったが、
大姫は遠慮なく人を使う。


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北条を継ぐ男子が誕生し、牧の方も遠慮が無くなる。


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運慶に仏像を作らせ鎌倉へ呼んだ。
気さくな人柄だった。



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NHKオンデマンド 鎌倉殿の13人


川で遊んでいた鶴丸を助けるも八重は力尽き流されてしまう。
承久の乱を経て泰時の執権就任まで八重を残し、感無量で死なせるのかと思ってましたが、
後に義時の正室となる比企尼の孫娘や継室の3人を重ねないことにしたようだ。
家庭は大切にするが、政治的に非情な決断を重ねていくということなのでしょう。






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