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太平記 第21回~第22回

(1991日)



高氏が六波羅を2日間で落とす。赤坂城で楠木正成が防戦しているが、
兵糧もつき困っていたところだった。北条勢が退散するところを追撃。
後醍醐帝も知らせを受け喜ぶ。報告では足利の名はなかったが、高氏が動いた結果であると明察される。

東では鎌倉より新田義貞に戦費調達で6万貫を要求。
無礼な幕吏を斬りつけ150人で挙兵。南下する。
途中、高氏と登子の子千寿王を総大将として迎えたことで軍勢は拡大。

登子と千寿王を逃がした守時は裏切り者扱いだったが、高時は反対を斥け会見。
守時が北条として死ぬつもりだと見抜き見送る。
高氏から生きるよう使者が向かったが、誇り高く戦場に赴く。

鎌倉へは3方向より攻めるが、義貞が最南端の海岸の引き潮を待ち突撃する。
北条方は菩提寺に集い、高時が舞を披露。次々に自害する。
最終回でもいいような見事な集団自決だった。



(21)「京都攻略」
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(22)「鎌倉炎上」
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NHKオンデマンド 太平記





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