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太平記 第30回~第32回

(1991日)


持明院統系の西園寺公宗と生残った北条高時の弟泰家らが後醍醐天皇暗殺を目論んだ。
知るところとなった尊氏は武者所の新田義貞に手柄を譲る。
対護良親王で協力してくれた借りを返したとした。

一方、高時の遺児時行は鎌倉を襲う。直義は守り切れず、三河に逃げることにするが、
その際、護良親王を殺害した。北条残党が担ぐ可能性を排除するためとした。

尊氏は妻子の心配もあり征夷大将軍として北条討伐に行きたく帝に裁可を求めるが、
将軍位も東征も許されなかった。足利幕府にさせないためだった。
帝は奥州の北畠顕家に北条を攻めるよう命じたとされたが、
実際には父の親房は鎌倉を放置して足利を潰すことを考えていた。

都にいても事態は悪くなるのみであり、東征を決意する。佐々木道誉をはじめ呼応してくれた武家は多く、新政への不満と尊氏への期待が大きかった。




(30)「悲劇の皇子」
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(31)「尊氏叛く」
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(32)「藤夜叉死す」
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NHKオンデマンド 太平記






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