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太平記 第26回~第29回

(1991日)


恩賞に三位局阿野廉子の意向が反映し、六波羅攻めの功のあった赤松円心が播磨の一地域の荘園のみと極端だった。護良親王派のためだったが、円心は親王に相談しても無駄だったため、足利邸を訪ねぶちまけ、尊氏は受け止める。

奥州での北条残党を討伐するため、帝は北畠顕家に命じ父親房を後見とした。
親房は奏上し幼い義良親王を総大将とすることにした。
当時は子どもに何か力が宿っていると信じられていたという。

三位局派は人質に取られたと捉えたり、護良派は力を削ぐために遠い奥州へ行かせたと捉える。武家は北畠が武家でないことが問題だった。
そこで尊氏は兵力を半分鎌倉に行かせ東国支配を行うべく、帝に上奏する。
が、三位局が間に入り護良親王を討てば帝に働きかけると取引しようとする。
しかし、尊氏は帝に直接上奏し裁可を得る。直義が鎌倉へ成良親王と向かった。

護良親王は尊氏を討つべく各方面へ綸旨を出していたが、
都を戦火としないためと尊氏は諸将を説得、六波羅に兵を集める。
大塔宮は天台座主だったこともあり叡山の兵を使おうとするも、
三位局の内奏と宮が勝手に帝の名で行っていたことで、逮捕となった。
身柄は、尊氏に預けることとされた。




(26)「恩賞の波紋」
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(27)「公家か武家か」
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(28)「開戦前夜」
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(29)「大塔宮逮捕」
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NHKオンデマンド 太平記





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