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竜馬がゆく 第16回  「脱藩」

(1968日)昭和43年、第6作。原作:司馬遼太郎 脚本:水木洋子 

当時はフィルムが貴重で第16話の現存のみだそうだ。
副題はつけてなく、DVD化時に「脱藩」と付けられた。

高校生の頃、小説を読んだ記憶はある。
私には龍馬に限らず活動的・体育系が苦手だった。
『お〜い!竜馬』も全巻読んだが、当時の私には入ってこなかった。
近年ですね。面白くなってきました。

この作品も、ストライクでした。
残すなら「薩長同盟」か「脱藩」だったのでしょう。


三人の姉がいて、一番近い乙女姉さんに脱藩の決意を語るシーンから始まる。
文久2年(1862年)3月。当時26歳。


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脱藩すれば親族に迷惑がかかるが、乙女は竜馬に毅然と言う。

「坂本龍馬という一個の男子を救国のために送りだすことは、
  オマさんを育てた乙女の義務ですぞ」


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土佐勤王党、郷士の武市半平太に吉村寅太郎が脱藩を勧める。
西郷輝彦わか~、と驚きました。


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脱藩を前に、名刀を漁る。


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NHKオンデマンド 大河ドラマ 竜馬がゆく 第16回


3月24日、沢村惣之丞と共に雪山を登ることとなった。


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英雄たちの選択  逆転 関ヶ原の戦い! 島左近・われに勝算あり [歴史動画]

(2018日)熱田がポイントだったが、西軍が結集できていなかったこと、
三成の兵6000で諸将に比し少なく強権を発動できなかった。
それまでも家康を討つチャンスはあったが、機というのは大事でした。

9月14日の夜襲案却下時点で左近は敗戦を覚悟しつつも、
杭瀬川の勝利で士気を上げ、本戦でも己の最善を尽くし負傷する。
最後は、佐和山の家族とどこかで合流し静かに暮らしたのでしょう。

三成4万石の内2万の厚遇を得ても、却下の連続では哀しいものです。

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英雄たちの選択 「逆転 関ヶ原の戦い! 島左近・われに勝算あり」

----memo

実像不明

だったが、2016直筆書状発見
1590佐竹への書状 対家康

慶長3 8.18 秀吉死去後、左近 家康攻めを進言 却下
4,u3 七章襲撃事件
        三成 蟄居
  左近 佐和山から8000で伏見へ 却下

 5.6 上杉攻め 家康出陣後水口で3000で 既に通過
  7.2 家康江戸着 同日三成挙兵

  水口攻め前
  「テングもトンビに化ければ、クモの巣に引っ掛かる」

  大垣城 岐阜城 調略が、
  清州城主福島正則留守 説得失敗

   左近 熱田で迎撃と進言 却下

 8.11大垣城で構える 東軍 同日岡崎城 
              熱田を通って13日清州城

        家康と合流する前に清州城先発隊を
 


 9.14杭瀬川の戦い

    夜襲か 関ケ原か 

       左近 夜襲

    江戸時代の記録 夜襲却下時点で配下に母を佐和山から

  京都市 立本寺 墓 寛永9年(1632)6月26日没 


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