SSブログ

鎌倉殿の13人 (4)「矢のゆくえ」

(2022日)


治承4年(1180) 8月、挙兵の決行日を決めるにあたり、クジを採用した。


kamakura0403.jpg

りくは全てを17日にしていた。
17日は三嶋大社の祭りだった。


kamakura0405.jpg

目代の山木兼隆を襲撃することとするが、
義時は堤信遠も加えることを主張。因縁により当然だった。


kamakura0411.jpg

この時の頼朝に娘と遊ぶ余裕はなかった。


kamakura0415.jpg

土肥実平がぐずっており頼朝に頭を下げるよう進言するも、
板東坂東の田舎者に下げる必要ないと拒否。
義時は半ギレとなり、彼らあっての佐殿だということを忘れるな、と恫喝。


kamakura0417.jpg

土肥には、実はお前だけが頼りなのだと語った。


kamakura0419.jpg

(岡崎義実)

同じことを繰り返した。
義時には、嘘も誠心誠意つけば実になると語る。


kamakura0421.jpg

乳母だった山内尼の息子山内首藤経俊は拒否。
大庭には知らせないと武士の情けと約束するも、報告。


kamakura0425.jpg

山木のことを聞きにいった。
が、八重が父伊東祐親に報告していた。
頼朝を助けてくれると信じていた彼女に、「甘い」と義時は吐く。
千鶴丸を祐親が殺したと知らない八重だったが、
それ以上は言えなかった。


kamakura0431.jpg

奇襲を計画していたが、頼朝は堂々と行くべきだと語る。
むろん、死なば諸共であり、一同、頼朝の激に震える。



kamakura0433.jpg
NHKオンデマンド 鎌倉殿の13人


(佐々木経高)

佐々木秀義の4人の息子の1人経高による第一の矢が放たれた。
承久の乱まで彼は生きた。






コメント(0)